アニメ版『デスノート』最終回感想:「比較的ライトびいき」「ライトとLの二人の物語に収束する」という原作からの変更点を振り返る
アニメ版のデスノート最終回、本日、ようやく録画を見ることができました。
アニメ版、実は初回から わりと欠かさず見ておりまして、
中盤以降の速すぎる展開だとか、やや度を越した演出だとかにちょいちょい文句をつけながらも、
まあ原作付きのアニメ化作品としては丁寧に作られてる方だよな、と思っていたのですが
最終回にて、ちょっと、ほへぇ、というか。
あ、そっち行っちゃったんだ… みたいな気分になりました。
決して出来が悪いというわけではないのですが、なんか、そっちかー、みたいな?
とりあえず、例によって思いつくままに気がついたことを書いてみますので、
ご興味のある方はどうぞお付き合いください。主に原作との変更点についてです。
当然のようにネタバレだらけですので、その点はどうぞご注意を。
■原作では、ライトの最期の後に、キラ亡き後の世界が描かれていましたけど、
アニメ版ではさっくりと削除されていましたね。
その前にあった、リュークにすがりつくシーンも削除。死の宣告シーンも削除。
魅上に見切りをつけられるシーンも変更されて、全般的に、
原作にあった「キラ(神)としてのライトの正当性を完全否定する描写」が、
随分と和らげられたなぁ、という印象でした。
もちろん、時間の制約・話数の制約というのもあったと思いますが、
これはなんとなく、アニメ版デスノ全体を通して言えることだと思います。
どちらかというとライトびいきかな、というか。
ライトびいきゆえに、キラが「悪」か「正義」かという問題を、
原作ほどには中心のテーマとして描かなかった感じがするというか。
■で、代わりに強調されたのが、「ライトとLの対決」というもうひとつの軸の方。
これは、ライトのいまわの際に、原作にはなかったLの幻影が挿入されたことからも、
わりと明らかなことだと思います。
(そういえばLの死の回でも、ライトとの会話シーンが増えてたしなあ)
わたくしが あ、そっち行っちゃったんだ という気分になったのも、実はこの点で。
原作デスノートが持っていたはずのいろいろな問題提起が、
結局のところライトとLの二人の物語に収束してしまったんだなぁ、というか。
より正確に言うなら、収束させてしまったんだなぁ、というか。
別に、それはそれでいいんですけど、なんかこう…
そうですね、ちょっと残念でしたね。
わたくしが期待していたのとは違った、というだけのことなんですけども。
■ただ、魅上が最後まで神の忠臣として描かれたのは、ちょっと嬉しかったです。
原作では、醜くのた打ち回るライトを見て、自分の理想を打ち砕かれた魅上でしたが。
アニメ版では、それを見て「神をあんな風に追い込んだのは自分のせいだ」と思ったんでしょうね。
そして神のために自分の命を賭して時間を稼ぐ魅上。
まったく、どんだけ真面目なんだこの人は!!という感じで。
しかし魅上は、本来そういう責任感の強い男として描かれていたので、
この行動には個人的にはとても納得しました。
むしろこの点、原作の方がひどかったよなぁ(笑)
なにしろ掲載誌がジャンプでしたから、魅上も結局は醜い人間だったってことにしなければ、
少年誌的なオトシマエがつかないってのもあったのでしょうか。
■ミサのあのシーンも気になりますね。やっぱりあれって、そういうことなんだろうなぁ。
ライトがいなくなったことを知ったミサが取る行動といったら、考えてみればそれしかないわけで。
うーん、そうかぁ…
意外とすっきりさっぱり忘れるかもとか思ってたけど、まぁ、そうかぁ…
■夏休み中にスペシャルが放映されるようですが、
やっぱり総集編+新シーン追加という感じなのかな。
通常放映ではなかった、「その後の世界」の描写もあるのかな。
ちょっと楽しみに待っておこう。
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